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編機
昭和28年に家庭用編み機の製造販売を始めました。この年はスターリンが死去して朝鮮戦争が休戦になり、フルシチョフがソ連の首相になった年です。日本ではNHKがテレビ放送を始め、吉田茂首相の一声「バカヤロー」で国会が解散されたという時代でした。
昭和22年に産声を上げた弊社は時代が求める商品をつくろうと考えました。敗戦後8年、食糧事情もやや落ち着いた頃でした。衣食住どれをとっても不満足な状態でしたが、私どもはその中の「衣」に着目しました。
女性はおしゃれです。習い事に長じています。おしゃれな衣服が欲しいが、戦後の物資不足のため手軽に求められない、そんなとき使いやすくて高性能な編み機があれば、女性はすてきな衣服を作れます。おしゃれな装いにあこがれる女性の願いを叶えたのが「コロナ編機」でした。
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クーラー
昭和37年に井水式ルームクーラーの製造販売を始めました。この年は米ソの危機的対立、いわゆる「キューバ危機」が起こりました。世界中にミサイルが飛び交い、大都市が原水爆で崩壊しても不思議でなかったといわれています。日本では池田勇人内閣が高度成長・所得倍増計画を推し進めていました。堀江謙一氏がマーメイド号で太平洋を横断したのもこの年でした。 レコード大賞は橋幸夫・吉永小百合の「いつでも夢を」で、新人賞は北島三郎の「なみだ船」と倍賞千恵子の「下町の太陽」でした。そのほか青島幸夫作詞の「はいそれまでよ」、村田英雄の「王将」、西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」が流行しました。
「宅地ブーム」という言葉が生まれました。人々が「住」生活の向上に関心を向けだしたのです。しかし、まだまだ「打ち水、うちわ、扇風機、夜風」プラス「我慢」で夏の涼をとるのが一般的でした。「クーラーのある家庭」はアメリカ映画にでてくる豊かな世界のことだ思われていたのです。
だが時代は高度成長、所得倍増の夢を追いかけていました。家庭にもクーラーが普及するはずだという信念のもと弊社はクーラーの開発に取り組み製造販売をはじめたのです。
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美顔器
昭和48年に超音波美顔器の製造販売を始めました。この年は「オイルショック」の年です。前年には冬季オリンピック札幌大会、連合赤軍浅間山荘事件、翌年は田中角栄首相の金脈問題で騒がしかった時代でした。麻丘めぐみの「わたしの彼は左きき」、桜田淳子の「わたしの青い鳥」、阿久悠作詞の「ジョニーへの伝言」などがこの年のヒット曲でした。
「日本沈没」「ちょっとだけよ」「じっと我慢の子であった」などが流行語となったようですが記憶にございましょうか?えっ、まだ生まれていなかった・・・・・失礼いたしました。
当たり前のことですが、炊飯器、掃除機、洗濯機などは女性の手間をはぶく機械として登場しました。美顔器はこのような便利で楽ができる商品ではありません。女性に手間をかけさせる商品です。
女性の社会進出が話題になる時代でした。勤めに出て、身だしなみに注意を払い、もっと美しくなりたい女性がどんどん増えていたのです。こんなとき超音波効果で素肌を清潔にする機械が登場しました。期待効果は、かける手間より大きいのです。美顔器は世の注目を浴び大ヒット商品になりました。このあと美容と健康の分野でお客様に手間をかけさす機械が次々と登場してきました。 |
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ツルツル
昭和59年(1984年)に循環温浴システム「ツルツル」の製造販売を始めました。24時間風呂の黎明期に、私たちはパイオニアとして新しい商品の開発に臨みました。
この年に紙幣のデザインが変わっています。1万円札の肖像が福沢諭吉、五千円札は新渡戸稲造、千円札が夏目漱石です。 それから20年、紙幣の肖像も24時間風呂も、社会生活の中にとけ込んでいます。
また「ドラゴンボール」が少年ジャンプで連載が開始され、宮崎駿監督のアニメ映画「風の谷のナウシカ」が封切られました。循環温浴システムもこれらの作品のように長く人々に愛される商品でありたいと思います。 |
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家庭用24時間風呂
昭和62年に循環温浴システム「コロナホームU」の製造販売を始めました。家庭のお風呂に設置できる、デザイン性の高い商品でした。
ところでゴッホの「ひまわり」が東京・新宿でみられるのをご存じでしょうか。この年、昭和62年(1987年)に53億円で落札され、今は高層ビルの一室で公開展示されています。下世話な話ですが、今ならHow muchなんでしょうか。
ここでお知らせ。24時間風呂の先駆け商品、コロナホームUと、モーニング娘の紺野あさ美、辻希美、小川麻琴の各メンバーは同じ年に誕生しました。
ただ、それだけのことですが・・・。 |
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